日本ペンクラブ・浅田次郎選
短編集。テーマは「切ない小説」
切ない、というよりは、寄る辺ない孤独感とか、逆に誰かといることで感じる自分という個の感覚とか、あとは、無常感。私にとっては、『人恋しい雨の夜に』読んだら余計落ち込むよ・・・と思ってしまいました。逆に言えば、浅田次郎さんはこういう感覚に安心される方なのかな、と。
浅田次郎さん風の作品が集まっているのかと思って購入したのですが、嬉しい裏切りでした。
短編で特に気に入ったのは、T.カポーティさん『ミリアム』、芥川龍之介さん『蜃気楼』、三浦哲郎さん『盆土産』。『ミリアム』を読んで、超怖い!!と思うのは私だけでしょうか?淡々とした文章なのに、ものすごい薄ら寒さを感じました。
それとは別の意味で気になったのが、小泉八雲さんの『日本人の微笑』
というのも、日本人の特徴が非常によく現されていると同時に、作者が感じた日本人と今の日本人の違いをまざまざと感じさせられたからです。
作者によると、日本人はいつも笑顔である。楽しいときはもちろん、悲しいときも、苦しいときも、笑顔を絶やさない。これを、外国から来た人間は非常に奇異に感じる。外国人が使用人を叱ると、笑う。女中が、配偶者の葬式のために暇をもらい、戻ってくると、笑顔で雇い主の外国人夫人に報告をする。そして、外国人はそれを見て、なんともいえない憤りというか、苛々を覚える。しかし、これは日本の文化に根ざしたことであり、悲しい中でもうっすらと微笑を浮かべていることこそ、日本人的な美徳なのである。
とまぁ、大筋こんなことが書かれてありました。
この文章を読んで、確かにそうだよね、と思ったのですよ。
私は、2000年の9.11テロの時、現場の見えるビルにいました。同僚の中には家族や知人を亡くされた方も多くいました。そして、その時、社内で日本人スタッフに対する不満が噴出したんです。
「日本人は、瓦解するビルを見て薄ら笑いを浮かべていた」「今回のことをヘラヘラしながら語る」。そういった内容が、副社長(日本人)の下に次々と寄せられていました。副社長に報告されるほど、大きな不満だったんです。
そこで、その副社長は「確かに、あの事故で知人を亡くした者は日本人スタッフにはほとんどいないだろう。他国のことだと、割り切っている感覚はあるだろう。しかし、我々は外国人なのだということ、常にお客さんとして、ある意味目の上のたんこぶとして見られているのだということを忘れるな」と日本人スタッフを集めて説教しました。
でも、私はこれは違うと思うのです。瓦解するビルを見ていた日本人だって、衝撃だったのです。そういう時、日本人が取る表情は、「もう、笑うしかない」だったのではないでしょうか。多分、私の表情も、米国人的"Oh, No!!"な表情ではなかったろうと思います。また「今後、どうなるんだろうね」「怖いよね」という会話をするとき、私も恐らく微笑になると思います。現に、日本人スタッフの多くはそうだった。そして、現地スタッフの猛反感を買ったのです。
さて、『日本人の微笑』を読んで数日後のこと、、、
ネットのとある掲示板で愕然としました。
飲酒運転の車に追突されて、3人の子を失ったご家族のニュースは皆様もご存知かと思います。テレビカメラの前に現れた両親は、涙も見せず、「ありがとうございました」としっかりとお話されました。
この映像について、その掲示板では「ほとんど笑ってるように見えて、違和感を覚えた」「悲しくないのだろうか?」というようなことが書かれていたのです。もちろん、「悲しくないわけない、それを必死に抑えた上でのことだ」という意見も多くありましたが。
一応お断りしておきますが、その掲示板は、某有名掲示板サイトのように何かにつけて人を中傷したり批判したりするような雰囲気の場ではありません。不特定多数の人が書き込みをしていますが、概ね皆さん良識ある書き込みをする板です。
日本人の微笑の美徳感覚は失われつつあるようです。恐らく、多くの日本人が、まだ微笑しています。でも、それを見て、自らが違和感を覚えている。ちなみに、うちの両親に聞いてみたところ、「悲しくないはずがないのに、立派な対応だった」と答えました。私も、そう思います。まだまだ美徳派、ということですね。
日本人の中でも、こんな風に感覚が分かれてしまうなんて、なんとも意思疎通の図りにくい世の中ですね。別に日本人の微笑を受け継ぐべきだ!とは思いませんが、表情の作り方・意味という結構コミュニケーションの根源的な部分で、皆が同じ価値観ではなくなっているということに、ある種の脅威を感じる次第です。