(石渡嶺司 光文社新書)
著者は、本書のポイントを以下の3点を明らかにすることとしている。
①最新のバカ学生像とその発生理由
②大学業界のアホっぽいところとその裏事情
③バカ学生が変わる”化学反応”の瞬間
大学全入時代になり、生き残りに必死の大学。そして、それにのっかって「バカ学生」が増えていく。しかし、なぜかバカ学生は、卒業するまでにまともになっていくから不思議だ~、という内容。
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時間つぶしに、読んだ本でした。
まぁ、学生がバカばっかし、というのは否定しない。ただ、それが「最近」なのかどうかは知らない。例えば、大学で出た課題に対して「調べてみたけどネットに乗ってませんでした」と答える学生。これをバカ学生の例としてあげているが、果たして、昔の学生はそんなに素晴らしかったのか?
書籍等で本当に調べていたのはごく一部の学生で、他の大勢の学生は、その真面目な学生から資料を聞いてパラっとめくって全文引用、もしくは、真面目な学生のレポートを丸写し。そんなもんじゃない?
「ネットに乗ってません」
「友達に聞いた本から丸々引用しました」
何か本質的に違うか?ネットという新しいツールが出てきたことによる新しい表面的な事象をあげつらうことにどれだけの意味があるのだろうか。
そもそも、この著者自身、大学時代に本当に自分は良書を読みあさって、図書館にいりびたって勉強していたのかね?その割には文章下手だし、論理が稚拙デスネ。
それにしても、本書を読んでいてもつくづく思うのは、なぜこんなにも皆大学に行く世の中になっているのか、ということだ。勉強したくて大学に行ってる学生、どれだけいるのか?
大学に行くと、就職に有利。多分、学生(およびその親)が大学に行きたがる理由はこれだけだと思うのだ。しかし、企業はどうやら大学の教育にあまり期待していない。
本書のポイントの③について、著者は、それでも化学反応が起こってバカ学生でなくなるから面白い、大学にも意義がある、というようなことを書いている。しかし、著者が書いている内容だけを見るならば、その「化学反応」をおこしたのは大学ではなく、就職活動における企業人との接触である、と結論づけるのが妥当のように思う。
結局、大学が存在し、ある程度以上の学力がある人は大学に行く、という常識があるから企業は大卒を取るのだろう。大学は、スクリーニング機能でしかないのではないか。
そうであるならば、もっと大学の定員は絞って良いと思う。企業の採用スクリーニングのために、若者の時間(と親の金、と税金)を4年も浪費する必要はない。本当に、大学における専門教育を必要とする人のみが大学に進める枠があれば良いのではないだろうか。