2007年9月27日木曜日

『最高学府はバカだらけ』

(石渡嶺司 光文社新書)



著者は、本書のポイントを以下の3点を明らかにすることとしている。



①最新のバカ学生像とその発生理由
②大学業界のアホっぽいところとその裏事情
③バカ学生が変わる”化学反応”の瞬間



大学全入時代になり、生き残りに必死の大学。そして、それにのっかって「バカ学生」が増えていく。しかし、なぜかバカ学生は、卒業するまでにまともになっていくから不思議だ~、という内容。



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時間つぶしに、読んだ本でした。



まぁ、学生がバカばっかし、というのは否定しない。ただ、それが「最近」なのかどうかは知らない。例えば、大学で出た課題に対して「調べてみたけどネットに乗ってませんでした」と答える学生。これをバカ学生の例としてあげているが、果たして、昔の学生はそんなに素晴らしかったのか?



書籍等で本当に調べていたのはごく一部の学生で、他の大勢の学生は、その真面目な学生から資料を聞いてパラっとめくって全文引用、もしくは、真面目な学生のレポートを丸写し。そんなもんじゃない?



「ネットに乗ってません」
「友達に聞いた本から丸々引用しました」



何か本質的に違うか?ネットという新しいツールが出てきたことによる新しい表面的な事象をあげつらうことにどれだけの意味があるのだろうか。



そもそも、この著者自身、大学時代に本当に自分は良書を読みあさって、図書館にいりびたって勉強していたのかね?その割には文章下手だし、論理が稚拙デスネ。



 



それにしても、本書を読んでいてもつくづく思うのは、なぜこんなにも皆大学に行く世の中になっているのか、ということだ。勉強したくて大学に行ってる学生、どれだけいるのか?



大学に行くと、就職に有利。多分、学生(およびその親)が大学に行きたがる理由はこれだけだと思うのだ。しかし、企業はどうやら大学の教育にあまり期待していない。



本書のポイントの③について、著者は、それでも化学反応が起こってバカ学生でなくなるから面白い、大学にも意義がある、というようなことを書いている。しかし、著者が書いている内容だけを見るならば、その「化学反応」をおこしたのは大学ではなく、就職活動における企業人との接触である、と結論づけるのが妥当のように思う。



結局、大学が存在し、ある程度以上の学力がある人は大学に行く、という常識があるから企業は大卒を取るのだろう。大学は、スクリーニング機能でしかないのではないか。



そうであるならば、もっと大学の定員は絞って良いと思う。企業の採用スクリーニングのために、若者の時間(と親の金、と税金)を4年も浪費する必要はない。本当に、大学における専門教育を必要とする人のみが大学に進める枠があれば良いのではないだろうか。



7 件のコメント:

Todo23 さんのコメント...

ええ??
大学って勉強するところだったの?
遊ぶところだとおもってた~~~。
ってところじゃないでしょうか。

ぺこ さんのコメント...

にぃさま、お久しぶりです♪書き込みありがとうございます。すっかりご無沙汰してしまってすみません><
��遊ぶところだとおもってた~~~。
でしょうね~^^;
かく言う私も、「大学に入ったからには勉強せねば」とは思っていたけれど、「勉強したいから大学に行こう」と思っていたかどうかは甚だ怪しいもんです^^;

たま さんのコメント...

ぺこさんの最後のご意見、いつも私が思ってるのといっしょ!
大学で学ぶ人の割合は、現在の大学院に進む人くらいでいいんじゃないかなー、と。
それ以外の人は、実践的なノウハウを学べるビジネススクールみたいなところに行くとか。大学以外の選択肢を充実させて、医師とか学者とかを志望する人以外はそっちにいくようにすればいいんじゃないかなー、と。
まあ、かくいう私も、せっかく大学に行ったのに、もっと勉強すればよかった~、と今更ながら悔やんでいるクチ。
親になって、経済的な負担もようやく実感としてわかったし(遅い、って)。
ウチの子たちには、大学に行くんなら目的をもってしっかり学びなさい、といまから言っています。わかってないだろうけど…。

あき さんのコメント...

卒業した学生がマトモか?という疑問も沸きますね。
社会に出て変わることといえば、いよいよ「社会から見た自分の価値」と「表面を取り繕うこと」が結びつくことくらいかなぁと思いますが、そこでよほど大化けするような人は、自分の価値を給料(あるいは売り上げ)という分かりやすい形でしか認識できないということかも知れません(個人的にはそれもアリとも思いますが)。
本を読んでも、ネットで調べても、人のを写しても、誰の・何を調べたのか、ということと、そこで何を考えたか、ということが重要だと思うんだけど(ノーベル賞クラスの人のレポートを読むコトの価値は案外あるかも)、大学ってたいていのレポートが(他の大学や学部は知りませんが)、提出したらそれっきりだからなぁ。読むほうのレベルや真剣さも・・・。しかも将来へのかかわりも分からないだろう・・・。そのへんを見透かして適当にやり過ごすのがバカかどうかもよく分かりませんが、それでトータルで何をしたのかってことだと思います。

ぺこ さんのコメント...

◆たまさん
そうですよね、もっと職業訓練的な意味合いの強い選択肢があった方がよいと、私も思います。そういう意味では、高等専門学校って、構想は良かったと思うんだけどなぁ。。。
��経済的な負担
ほんっと、親の心子知らず、ですよね~。私もまだ子供はいませんが、やっぱり自活するようになってから、なんて自分は安易に親にお金を出させていたんだろう!って思いました。今後恩返しがしたいものです。なんて言いながら、経済的にはともかく、なにかとまだまだ頼りっぱなしなふがいない娘ですけども^^;。
◆あきさん
この著者によれば、大学入学時よりはマトモになる、らしいですよ^^;。それが4年という年齢差に見合う違いなのかは微妙・・・と私は思うのですが・・・。
人間は所詮食べて生きる為に仕事をする、と思っているので、給料がモチベーションになるのは全然アリと、私も思います。
��見透かして適当にやり過ごすのがバカかどうか
確かに!!
ていうか、大卒の方が社会的に優遇される、という構図がある以上、勉強目的でなく大学に行くことを責めることはできないんですよね~。で、結局は、「なんで企業は大卒を好むのだ?」という疑問に戻っちゃうんですよね~。
大学で4年過ごす(過ごさせる)ことは、全体最適で見たら絶対無駄なのに、世の中の潮流に誰も(企業も個人も)逆らえない、という状況なのかな・・・

ちぃ さんのコメント...

おひさ。
私は親に「大学へは遊びに行け」と言われたよ。
でもそんなに遊ばなかったなー。
勉強もしてなかったけど。
バイトしてた時間が一番多いよ…。
お陰で人間ちっさいまんまー。

ぺこ さんのコメント...

あれ~、そうだっけ。ちぃちゃんが大学時代にバイト漬けだったイメージってあんまりないなぁ。
バイトも良い面はあるとは思うのだけどね。社会勉強?
私みたいに、かてきょーしかやったことがない(あまりに時給が魅力的すぎて他のバイトする気にならなかった^^;)、ってのがバイトの一番ダメパターンかも^^;
学んだことは、「自分の子供に大学生家庭教師をつけるのはやめよう」ってことだけだ(笑)。