2010年5月14日金曜日

読書記録の効用

このブログを読んでいると、私が何度か「読書記録をさぼって云々」ということを書いているのをご存知かと思います。続かないならいっそ辞めればいいのに、と思われるだろうな〜、と^^;

もう7年くらい前に、読書記録のサイトを自分で作って、3年間くらいは逐一感想なんかを書いていました。それが、忙しくなってから、段々書けなくなり。

それでも、読書記録をつけるのは、理由があります。一つは、読んだ本をちゃんと消化するのに役立つからですが、もう一つが、自分のメンタル状況の把握になるんです。

たいてい気持ちに余裕がない時は、本に対する評価が辛辣になります^^;。多様性を認められなくなる、とでも言うのでしょうか。自分の好みに合わない時に、「好み」とは別の視点でその作品の良さを評価することができなくなるんですね。「この作品、嫌い。以上」みたいな。

あとは、情報や知識を得るために読んだ本に対して、たとえ内容が薄いとしても一つや二つは自分が知らなかったことがあったり、考え方の切り口に気付けたり、何かしら得るものはあるはずなのに、「つかえない。以上」ってなる。

例えば、右の本棚につい先日読んだ宮本輝さんの『避暑地の猫』という本があります。コレに対する私のコメント、ひどいもんです。後から読み返してあらためて作品を思い返すと、例えば、爽やかなイメージの軽井沢を舞台にすることで逆に閉塞感を感じさせている絶妙さとか、主人公の退廃的な心理が暴走していく様とか、みるべきところはいくらでもあったはずなのに、ストーリー性とか単純にその時に自分が求めていたものに合致しなかったというだけで、批判してしまっている。

そういう精神状況って、早めに自分で気付いて、「いかんいかん」と意識するだけでも全然違うんですよね。

そんなわけで、ほそぼそとでも、記録は書いていきたいな〜と思うわけです。

0 件のコメント: