2009年1月13日火曜日

『企画書は一行』

(野地秩嘉、光文社新書)



シュウゾー購入本。



企画書のノウハウではなく、優れた企画書を作っている人たちの人物伝といった内容。『彼らの話をじっくりと味わうと、そこに現れているのは人間性であり、哲学だ、と気付く』と本書半ばで述べられているが、前半を読んでいて、私もまさにその通りのことを感じていた。



要するに、企画書はテクニックではない。当人に心から訴えたいことがあり、それを色々な角度から検証し、練っていくうちに、核となる「一行」が見えてくる。このように「一行」がある企画書は良い企画書。逆に言えば、「一行」が現れるまでの過程があるかないかが肝で、誰でも楽にいい企画書なんてできないよ、と。



そうだよな!頑張ろう。と素直に思った^^



 



その他、特に頭に残った2点:



①日本サッカー協会 川淵キャプテンの「エリート」論



同協会は、ミッションの一つとして、「エリート養成システムの確立」というのを掲げているそう。この点について、一部マスコミから「エリート養成とは格差を作ることだ」との批判があったそうで、マスコミのアホめと思いつつ、これに対する川淵氏の対応は良いな、と思った。



川淵氏は、敢えてエリートという言葉を使い続け、あちこちでエリートの意味を語っているそう。曰く、『特権階級となって人を見下す人間をエリートとは呼ばない。(中略)誇りとプライドを持って集団や社会に貢献する人間がエリートなんだ。(中略)仮にエリートという言葉を外して節恵美しても、それはごまかしに過ぎない。エリートを養成するには環境を整え、機会を与えることが何より大事。』



まったく、その通りだと思う。今の日本の平等論は、機会を持たない者が、持つ者の足を引っ張る方向にある。「機会がない人がいるから、平等にするために機会を持っている人は手放してください」では進歩がない。機会の平等を実現するための方策は絶対に必要だと思うけれど、その一方で、どんな分野でも、秀でた面を発揮した人にはより多い機会が与えられるべきだと思う。そうでなければ、縮小均衡だ。



 



②空間プロデューサーから経営コンサルタントへと仕事を発展させているシー・ユー・チェン氏に見るコンサルティングのあり方



著者曰く、一般的な経営コンサルタントの場合は『なるべく同じ業種を相手にし、しかも指導する内容を絞って行なう。そうでないと手間ばかりかかって儲からない(後略)』。つまり、同じ業種でノウハウを蓄積し、標準化したコンサルティングを提供しているということだろう。



一方のチェン氏は、ユニクロをはじめ様々な業種に対するコンサルで高い評価を得ているが、各社に対して完全カスタマイズ版で、都度新しく「発想」をしているのだと思う。これは、当然、氏個人の資質によるところが大きいし、成功しているのは当人の感性とも言うべきものの賜物だろう。



でも、見習うべきところは大きいと思う。というのも、コンサルをやっていると、どうしても「一般的な」コンサルのやり方にはまっていく傾向があると思うからだ。もちろん、理由はそのほうが楽だから。各社で使いまわしの企画書を持って回ったり。もちろん、私の業界などでは、ベースとなる知識やノウハウってのはあるので、その部分の使いまわしは問題ないけれど、やはりそれに基づく提案は、各社各様にもっと練らないといけないよな、楽してちゃいかんよな、と反省しまして。頑張ろう。



4 件のコメント:

腹ぺこ虎 さんのコメント...

今の日本の平等論は、機会を持たない者が、
持つ者の足を引っ張る方向にある。
機会の平等を実現するための方策は絶対に必要だと思うけれど、その一方で、どんな分野でも、
秀でた面を発揮した人にはより多い機会が与えられるべきだと思う。
-----------------------------
これって、結局、機会の平等じゃなくて
結果の平等を目指しているってことですよね。
機会の平等って、本来「秀でた面を発揮するための機会」の平等であって、「秀でた面を発揮した人」に対しては、
経済合理性を考えたら、
更なる機会は自然にその人にくっついて
行くものだと思う。
なので、機会の平等を実現する方策というのは
スタート地点レベルの機会の平等に対して
施されるべきで、あとは(結果の平等を求める
組織は)、競争社会の中では、自然に淘汰
されていくはずです。
だって、本当に優秀で自分が一番活きる場所を
求める人は、そこでは働かないから。
現代の中国人(特に都会人)は、機会の平等を
求め、結果の平等は誰も求めていないです。
すごくアメリカ的です。
日本は人材ガラパゴス(日経BPより)だそうです。

ぺこ さんのコメント...

虎さん、お久しぶりです!
中国生活、いかがでしょうか?^^
私の書き方が短縮しすぎでおかしかったですね。私も思ってることは虎さんと一緒だと思います。結果の平等なんぞ、いらんと思ってます。社会保障としての再分配は必要と思いますが。
私の言いたいことって2点に分かれていて、
①今の日本の平等論は、機会を持たない者が、持つ者の足を引っ張る方向にある。機会の平等を実現するための方策は絶対に必要
これは、スタート地点の平等、かつ、その平等を下レベルに合わせるのではなく、上レベルに引き上げる方向が必要という話。
②秀でた面を発揮した人にはより多い機会が与えられるべき
こっちは、川淵さんの言う「エリート養成」を否定するな、ということです。虎さんがおっしゃるように、更なる機会は自然にその人にくっついて行く、は確かにそうなんですが、一方で、日記本文に書いたように、エリート養成の取り組み自体を「格差だ」と批判する意見が、日本のマスコミに現実にあるわけです。私はそれを否定したいわけで、虎さんの言う、「自然とついてくるはず」の、その人が勝ち得た機会を剥奪するなということですね。
人材ガラパゴス、私も読みました^^;
ところで、虎さんの周囲には(日本で)、個人として、結果の平等を求めている人って、いますか?
中国人に限らず、虎さんのお勤め先のように、ある程度のレベル以上(と言うと語弊があるかもしれませんが、いい表現が思いつかないので汲み取ってください(笑))の会社さんで、そういう人っているのかな??と疑問に思うのですが。日本の会社組織自体が、ある程度、結果の平等を前提に成り立っている部分はあるかもしれませんが。

腹ぺこ虎 さんのコメント...

ニイハオ
エリート養成は必要ですよね。
日本じゃ、エリート=官僚=特権階級
って感じがするから、イメージが悪い。
官僚になるために、それなりに努力してるんだろうから、少々特権があってもいい気もするけど。
まぁ、会社だと「幹部養成」って名前だったら、
まだ受け入れられる。
サッカーだと、スーパースター養成?って方がイメージが良いかも。
所詮、イメージの問題?
「格差を作る」ってのも、スポーツ界のような超競争社会では必要不可欠なものだしね、マスコミはアホですね。
うちの会社では、50歳以下の人では、結果の平等をあからさまに求める人はもういないかもね。
そういう世代の人は、すでに定年退職もしくはリストラされたかも。
それに、お互いの評価を知らないから、結果が平等なのかどうかがわからないので、特に怒らないけど、知ったらどうなんだろう?
あと、狭い意味での、うちの日本の職場は、
超年功序列なので、これって、結果の平等?
実力による上下の逆転劇はあんまり見られないかも。
ところで、最近、見たこのページ。
このせいで、日本の結果の平等イメージが
強まったのかも。
http://contest.thinkquest.jp/tqj2000/30298/tyokusetu.html
��抜粋>
ヒロシ:「消費税のような税率一定の間接税だけにしてしまうと、今度は不公平になるだろ?」
ノブユキ:「何が不公平になるの?」
ヒロシ:「お金持ちも貧しい人も、同じ物を買ったら同じだけ税を払わなければならないだろう?」
ノブユキ:「ああそうか、確かに不公平だね。」
ヒロシ:「直接税、特に所得税では収入の多い人ほど高い税率で払うから、その点では公平だといえるな。
この仕組みを累進課税制度と呼ぶんだ。
これと一定税率の間接税を組み合わせてバランスをとっているんだ。」。
これって、不公平って言うんだって思いました。
まぁ、この文章を書いたのは、どうも高校生みたいなので、社会を知らないだけかもしれませんが。

ぺこ さんのコメント...

一旦エリートになると既得権益化するのが、嫌われる原因でしょうかね~。日本だけじゃないかもしれませんが。
��お互いの評価を知らないから、結果が平等なのかどうかがわからない
それは、まさに結果平等組織なのでは。。。
そうでない組織は、評価の中身なんて見えなくても、その人の扱いやポストなどの人事であからさまに分かりますもの。
税の話は面白いですね。それを不公平といっちゃ~、ですよね。
税金ならではの「公平性」の定義が別にあるのかしら?と一瞬思ったのですが、ないみたい。そんな風に思うくらい、この「公平」の使い方は違和感がありますけど、実は日本人の多くは、このような考え方に賛同するのではないかという気もしますね。。。