2007年10月20日土曜日

『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』

(小澤徳太郎 朝日新聞社)



環境破壊と少子高齢化が進む中、社会は持続が不可能になる。スウェーデンの「生態学的に持続可能な社会」あるいは「緑の福祉国家」を実現しようという取り組みを紹介し、その2つの柱である環境問題と年金制度等を含む福祉政策について、今日本が考えるべきことを提言している。



 



まず、第一に、無駄に長い。前半3分の2を割いて、「日本は経済成長を主眼に置いているが、それは環境負荷を増すこととイコールであり、それでは持続可能な開発は実現しない」しか言っていない。例示等はあるものの、これほどの分量を割く内容ではない。



でも、最後まで読んで良かったことは良かった。スウェーデンの取り組み姿勢は良く分かった。



しかし、肝心の、ではそれをいかに日本に適用するか、ということが「難しい」「日本人はダメだししかしない」と言うに留まっており、「オイオイ、愚痴で終わりかよ」という感触は拭えない。まぁ、本当に、愚痴りたいのかもしれないけど^^;。実際、著者が書いているようなことは、多くの識者・政治家は理解していると思うし、それでも動けないのが日本の問題なのであって、今更考え方そのものを議論する意味はあまり無いように思う。著者は、その部分は「経済学者や社会学者が考えて、政治家が実行すべきことで、俺は知らん」と言っているように見える^^;



ポイントとして面白いと思ったのは、スウェーデンは、現状と未来のあるべき姿を示して、「だから今これをやらなくてはならない」ということを提示したことで、国家・国民が「なるほど。ではやろう」と実際に行動できている。それに対して、日本は、同じことをしても、総論では皆賛成するが、各論では「でも・・・」「だけど・・・」と言い続けてやらない。これは、実際日本の政治を見ていても、確かにそうだな、と思う。全体最適という言葉が無力な国だと思う。



今、もう一冊、日本の財政改革に関する本を読んでいるので、それが読み終わってから、もう一度年金制度については考えをまとめてみたいと思う。



2 件のコメント:

あき さんのコメント...

岩淵先生が懐かしくなりました。>持続可能な・・・
人口論・成長の限界・持続可能な成長、と来て今の流行はどんな感じなんでしょうか。でもスウェーデンの取り組みも、日本の葛藤も、中国がすべてぶち壊しに(主に食糧と環境で)するんではないかという気もします。
日本で総論賛成・各論反対になってしまうのは、自分も含めてみんなそうなんだろうな、と(国民性?)思いますが、すぐダメ出しするのは「問題点や懸案事項を洗い出すのがウマイ」というポジティブな考え方もあると思うので、ダメ出しされた時にいかにひるまずに切り返すか、いかに納得させるかが重要と思います・・・。ダメ出しした方もただの反対ではない工夫が必要と思いますが・・・。それってdebateの力ってことか。やっぱり日本じゃ無理?
でもなんだかんだで小泉元首相のライフワークだった郵政は民営化されたわけだし、日本ででも「各論に問題はあってもこんなにメリット(今はお金か)がある」というはっきりしたデータ(あるいは実現しようという熱意)があればそれなりに動くときは動くんではないでしょうか?
要するに大臣になってから勉強されて準備不足が透けて見え、信頼に足らないと思われるから支持されないしうまくもいかないんではないかなぁ。

ぺこ さんのコメント...

��今のはやり
なんでしょうね~。やっぱり中国などの資源消費が爆発的に増えていることによる、資源配分のあり方とか経済活動への資源インプットを減らすことに焦点をあてた環境論でしょうか。
��中国
ほんと、我々も通ってきた道とは言え、「あそこまでひどくはなかったぞ」と思うのは身びいきなんでしょうか^^;。
��国民性
ほんと、政治とかから、自分、自分の身の回りの仕事のやりとり、全て、こういう傾向はあるような気がします。
��debateの力
優先順位をつけるのが下手なのかな?と言う気がします。環境問題にしても、年金問題にしても、なんでも、多分全ての問題点を解決する策って無くて、その中でどれを優先して、どれを犠牲にするか、ってことだと思うんですよね。
でも、今の議論を見ていると、「Xの方法だと、AとBは解決するが、Cに問題があるからダメだ」と言って結局何もせず、AもBもCも全部放置!という状況のような気がします^^;。もしくは、「Yの方法なら、A、B、Cには影響がなく、Dは解決する」と言って、実はDがそもそもの目的からはずれているにも関わらず、「おぉ!何も悪影響がない♪」と言ってYの方法を選択してしまう、とか^^;